2017年10月22日日曜日

台風のたびに思い出すこと


台風21号がただ今接近中。明日の3時頃に最接近する見込み。
風で飛ばされないように、ガレージの片側をロープで固定し、洗濯竿を下ろし、ブルーベリーの鉢を横向けに倒して置いた。雨戸も全部閉じた。

台風が来るたびに思い出すのは昭和34年9月26日の伊勢湾台風のこと。
我が家も高潮に襲われ、床上まで浸水して来たところで、父親と結核の長兄に「逃げるぞー!」と声を掛けて家から飛び出した。
近くの高台までに逃げる間にみたものは、完全に堤防を越える高潮の高さだった。その時、何故か空が時どき白く光った。

ちょうどその頃、三兄は友達と3人で名古屋市内で映画を見た帰りに、電車が普通になって、徒歩で帰ってきたそうだ。名古屋市の境の天白川を越えたところで高潮に飲み込まれた。
翌朝、兄だけ九死に一生を得、友達二人が亡くなったことを知った。
もしも天白川を渡りきっていなかったら、貯木場から流れた流木にやられて助からなかったかもしれない。貯木場が人的被害を大きくしたのであった。

ボクは卒論のために栽培していたトマトの苗が、温室が壊れたために、だめになり、
卒論に間に合うのかどうかヤキモキした。あとで栽培し直し、なんとか滑り込みでセーフとなった。


地図は元の我が家の位置を今昔の地図で示したもの。
当時干拓地の堤防は全て決壊し、後日、町民総出で決壊個所の堤防修復のための土嚢作りをしたことを思い出した。
その堤防も、今では、その先の埋め立地にすっかり飲み込まれてしまい、稲がたわわに実った田んぼはすっかり無くなった。
昔懐かしいふるさとの光景を伊勢湾台風がきっかけになって、壊してしまったと云えなくもない。



2 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

貴兄の自宅は、まさに天白川の最下流の場所だったのですね。ボクは、小2まで南区の天白川の中流地区、いまの施設は最上流地区でいつも眺めている川なので感慨深い。
伊勢湾台風は大変だったですね。ボクはその時ちょうど入社試験で東京にいて、台風のすさまじさは経験していない。2日間の試験が終わり、夜行列車で帰名した。名古屋駅近くから見る北西方向は、まるで海のように浸水していた。
研究室に戻り、総出で屋根にのぼり瓦の補修したことが懐かしい思い出になっている。
昨夜の大型台風は、名古屋の南を通過したのでそれほどでもなかった。もっとも居室は4階で周囲は田畑なのでほとんど音がしない。これから何も台風対策してこなかった自宅に帰ります。ゴミ箱など飛び散っているかもしれない。

ター さんのコメント...

>忠ちゃん 河口まで直線で2.0kmくらいでしょうか、近いと云えば近いですね。
ボクの入社試験はこのあと1週間後くらいに東京で受けましたが、まともな食事をしていなかったので下痢気味で、そのことを自己申告したら、後日、名古屋で検便させられましたよ。よく採用してくれたと思います。
伊勢湾台風についてはとても語り尽くせません。
今度の台風は大したことなかったですね。貴兄宅も多分、被害なしだったでしょう。