2013年10月6日日曜日

ボクの手術記念日

今日10月6日はボクの手術記念日。
最初の肺がん手術は3年前の今日。
5年以上の生存を期待したが、残念ながら3年を待たずに再発ということになってしまった。
ステージⅠで肺がんを手術した人の10~20%が再発するというデータが有るようだが、
どうやら悪い方のくじを引いたようだ。

でも、考えようによっては未だラッキーかも知れない。
転移した先が胸腺で、これは成人にはもう用済みの臓器であり、
ガンと一緒に切除してしまった。
だから、今のところボクの体内には、これと言ってガンと認知されるものは無い。
それがもし、転移しやすいと言われる脳、肝臓、腎臓、骨などだったら、そういうは行かない。
その場合、再発したガンは体内に残ったまま治療しなければならない可能性が高い。
だから、再発ガンは怖いのだ。
その様に考えたら、ボクは不幸中の幸いなのだ。
手術記念日に当たり、そう思うことによって自らを慰める次第である。

  
暑い夏と手術・治療のために随分と遠ざかっていた木曽川に久し振りに出てみた。
川には釣り人が多く出ていた。シラハエ狙いだろうか?
オニグルミ拾いはもう少し先になりそう。
あれはムシクイだろうか?と言いながらカメラを向ける人も。

写真は今日の木曽川でのスナップ。


2013年10月5日土曜日

先生、それならそうと初めに言ってよ!


昨日は手術して2ヶ月後の受診日。
先生、血液検査とレントゲン写真を見ながら、「異常ありませんね。じゃぁ、次回はまた1ヶ月後に同じ検査しましょう」と言って、診察を終わろうとした。
ボクは、あれあれ!?
「再発というのは何処にがんが潜んでいるか分からない状態。だから抗がん剤で予防的にがんをやっつける方法があるけれども、それをやりますか?どうしますか?」と1ヶ月前に宿題を与えたことを先生はすっかり忘れている。

ボクは慌てて、そのことを切り出し、抗がん剤治療を回避したいと返事した。
そしたら先生、「そうですね。それでいいでしょう。抗がん剤が効くかどうか判りませんからね」とあっさり。
「何ぁ~だ!先生は 最初からそう思っていたのか。」である。
「それならそうと初めに言ってよ!」と内心つぶやいた。
そうすればこの1ヶ月間、悩みに悩むことなく済んだのに・・と、恨めしく思った。

抗がん剤治療を回避したいと決断した理由、書いてしまえば簡単なこと。
今現在、検査で見つかるような再発ガンは体内にないのだから、
抗がん剤治療を始めても、効いているのか効いていないのか判定できない。
現在のところ健康状態に問題はないのに、敢えて毒物の抗がん剤を体内に入れることは理不尽である。
今後、新たにがんが発生した場合には放射線治療を第一選択肢とした方がベターなQOLになるだろう。
等々。
1ヶ月間、数冊の本を読み漁り、抗がん剤や放射線治療のことを自分なりに勉強した上での結論である。先生はそんなこと、知る由もない。

「医者は一般的に職業的自己防衛意識から、より深刻な事態を想定して説明することが多い」とは、西尾正道著 「放射線治療医の本音」という本の1フレーズ。
確かにその通りだと思う。それが形となっているのが、少し危険の伴う治療の前に必ずサインさせられる同意書であろう。同意書には想定される危険がすべて網羅されていて、医師はもれなく読み上げた上で、患者にサインを求めるのである。

今日の話もそれに類似したことになるのかな?
こういう治療法もあるよと患者に伝えておかないと、後々問題になっては困る。
だから、可能な治療法をすべて予め開示する。
患者は説明を聞いて納得した上で複数の選択肢から1つを選ぶ。
これが所謂、インフォームドコンセントなのだ。
してみれば、インフォームドコンセントとには、医師側の自己防衛的意味合いも多分に有るようである。

それにしても超多忙な医師には患者とじっくり向き合って、患者が十分理解できるように説明する時間など、とてもとても持ち得ていないと思う。
その結果、多くの患者はボクのような迷える子羊になる。

これもがん治療の難しさなる故かな。

2013年10月2日水曜日

変わったものと変わらないもの

放射線治療のためにボクの日常は大きく変わった。
土日祭日を除き、連日の通院は結構大変だ。
リニアック治療器のベッドにたったの10分間仰臥するだけなのだが、
通院で午後の半日が潰れる。
午前中は午後の通院に備えて待機の形になるから散歩も控えている。
従って、毎日が放射線治療に専念する形になった。
家と病院を往復するだけではブログのネタもない。
散歩も出来ない日常は味気ない。

昨日は、とうとう8%の消費税増税を閣議決定した。
将来の社会保障費を確保するという名目だが、その通りやってくれるなら、
年金生活が多少窮屈なものに変わろうとも、我慢しよう。

今日は伊勢神宮の式年遷宮の遷御の儀が執り行われた。
一般の参拝者は明日の5時から新しい正殿にお参りすることになる。
変わらないのは式年遷宮という伝統。

今日届いたのは元の会社の社内報。
冒頭で、80歳になろうという会長が自分の筋力の衰えに例えて、
会社も筋力をつける努力が必要だと訓示している。
会社の筋力アップを妨げているのが自分の院政であることを知らぬ大馬鹿者である。
馬鹿さ加減は変わっていない。後輩たちが可哀想。

2013年9月21日土曜日

がん患者のがん知らず・・ NHKテレビを見て

がんの再発転移について「がん幹細胞仮説」というのがあることを知った。
教えてくれたのは、9月19日19:30からのNHKクローズアップ現代が放映した「がん根治の時代は来るか~がん幹細胞研究最前線~ 」だった。
ボクはがん幹細胞なる言葉が初耳。
がん患者のがん知らずということになるか?

テレビの解説の要点を自分なりに整理すると・・・・
がん幹細胞ががん細胞を作るが、現在使われている抗がん剤はがん細胞に効いてもがん幹細胞には効きにくいこと。
がん幹細胞はゆっくり増殖し、体の中に散らばってその先々でがん細胞を作る、これが所謂転移再発であること。
がん幹細胞をめぐる研究は世界中で行われているが、臨床的に応用可能になるのは8年、10年先になるだろう。
もし、がん幹細胞をコントロール出来るようになれば、がんは根治可能になるかもしれないこと。
などなど・・・・。

番組の中では「仮説」と言う言葉は使われなかったと思うが、世界中の研究者がこの仮説に挑戦していると聞けば、ボクには間に合わないけれども、次世代の人達には朗報に違いない。

ボクの放射線治療はやっと6回済んだ。未だ残り24回と先が永い。
がんがあった箇所を中心に縦10㌢、横8㌢、深さ5㌢程度をターゲットにして、3方向から合計2グレイの放射線を当てる。装置はリニアアクセレーター(リニアック装置)。
写真はターゲットの位置決めのために体に貼られたシール。

治療期間中シールは貼ったまま。消えないように風呂に入っても、シール部にはタオルを使えない。

2013年9月17日火曜日

ウィルスソフト相手に悪戦苦闘した


昨日は、18号台風が豊橋付近に上陸して東日本を縦断した。
当地は進路の西側に入ったので雨風とも左程でもなかった。
むしろ、吹き戻しの風のほうが強かった。
今日は台風一過の好天に恵まれた。
最高気温は31℃まで上がったものの、空気は乾いて日陰は心地よかった。

3連休に娘が孫を連れて帰省したかったようだが、台風のために潰された。
来る方も来られる方も、来なくてよかった、とお互いに納得した。

孫達の顔を見る代わりに、爺さんは調子の悪いVISTA PCと悪戦苦闘した。
毎度のことながらパソコンの不調は、原因が判れば、なぁ~んだ!そんなことかと言うことになる。

数日前、Antivirus free softのavastのポップアップ宣伝に引掛って、
家内が変なソフトを入れ込んだのが運の尽きだった。
どうしてもavastを上手く再インストール出来ないのだ。
仕方がないので、ついにavastを諦め、今日、AVG free antivirus softに入れ替えた。
ついでに、いつのまにか紛れ込んだMcafee security scan という邪魔者もアンインストールした。

XP machineは更新予定だが、vista machineは未だ使わなければならない。
これでしばらくvistaも何とか調子を取戻してくれるだろう。



2013年9月13日金曜日

パソコンなどを廃棄


ブログにもう少し情緒のある話題でも・・・と思うのだが、どうも即物的な話題になってしまうのは、
元々の生まれと育ちがそうさせるのだろう。そんな反省もしながら・・・。

4日前に郵便受けに無料で廃品回収するというチラシが入った。
OA機器ならコードがついていれば何でもOKとある。
今までにも何回か回収に来たことがあるが、我が家は利用したことがない。
川向うのあちらの県ではリサイクル法違反で業者が摘発されたのは最近のこと。
多少の、疑念を抱きながらも、その業者の所在地とは違うので、このタイミングに乗っかることにした。

ぐるっと部屋を見渡したら、あるあるいっぱいある。
そして昨日、厳選して捨てた。
98パソコン、カセットテープデッキ2台、ステレオコンポ、アナログビデオデッキ、掃除機、
配線類、アナログテレ用ビブースター。

アナログ・レコードプレーヤーとアンプ、ラジオチューナーを残したら、
家内が、「やっぱりこれはお父さんの原点なのね」と言った。
そうかも知れない。レコード盤といっしょに最後まで残るかも知れない。

パソコンは、ハードディスクを廃棄処理の上書きをする時間的余裕がなかったので、
ハードディスクを取り出して、物理的に破壊した。



まだまだ廃棄候補はいっぱいあるが、先ずは一段落。

2013年9月8日日曜日

2020年東京オリンピック決まる

明るいニュースが早朝から流れた。
福島原発の汚染水問題がマイナス要因としてクローズアップされていたから心配していたが、
0.3平方キロ㍍範囲に押さえ込んでいるから問題ないと、安倍総理が説明したのが奏功したのかも知れない。
もっとも、福島をさておいて、という物言いに対して、被災地の福島県民から批判の声が上がったようだが、それも致し方ないところだろう。
日本国中が福島県に引きずられて悄気返っているわけにはいかない訳で、
ここはやはり、将来に明るい展望が期待できることを喜ぶべきであろう。

思い起こせば、昭和39年10月10日の東京オリンピック開会式は日曜日で、独身寮の窓から眺めた空に、五輪の飛行機雲が描かれたのを見た。
各種競技がたけなわの頃、入場券を入手するのが難しかったので、実物で競技を見るのを諦めていたのだが、突然、高校の同級生のB君から体操競技の入場券が1枚余っているからタダでくれると言う電話が入った。彼は、地元の高校で体育の先生だったから入場券も上手くゲットしていたようだ。ボクを忘れずにいて、声を掛けてくれたのが嬉しかった。

そのつてで、唯一見たのは代々木体育館での体操女子の競技だった。
チェコのチャスラフスカが総合個人で優勝した演技を見た。
その時、会場が大きくどよめいた。
別の競技場で行われた女子バレーボールで東洋の魔女たちが強敵ソ連を破って優勝を決めたニュースが伝わったのだった。

この年婚約し、翌年、家内と結婚した。オリンピックに合わせて開通した新幹線のお蔭で、名古屋と東京を行き来するのに助かった。

オリンピックは我が夫婦のメモリアルイヤーになっている。