2011年9月4日日曜日

二百十日という言葉

二百十日という言葉が最近聞かれなくなったと言うNさんのブログを先日読んだ直後だったこともあって、今日の中日新聞のコラム欄中日春秋に目が止まった。
江戸時代の天文方の渋川春海が1684年の貞享暦を編んだ際、初めて雑節として採用したと言われるが、それより前に全国に普及していた民間の伊勢暦には1656年から記載されているそうだから、元々は伊勢の船乗りたちの経験から凶日(きょうじつ)としていたものが、官暦にも採用されていたのかも知れない・・・と書いている。

二百十日は、新暦では平年は9月1日、閏年なら8月31日、立春の変動によって9月2日になる年もあるが、ボクらが子供の頃は、勿論、旧暦で数えられていた。
中学生の時には、田植えや稲刈り時期になると農家の友達は手伝いのために学校を休んでも出席扱いになったような時代のことだから、いろいろの行事も二百十日、二百二十日を避けて計画されていたように記憶している。

二百二十日も無事すぎて稲もたわわに実る頃、9月26日(新暦)が村の鎮守の秋祭りであった。
その秋祭りについては、小学6年生の9月18日におふくろが亡くなって、子供獅子に参加で出来なくなって悲しんだ思い出が蘇る。
こういう思い出も二百十日という言葉があったればこそ。
日本固有の季節感を表現する言葉だけに、いつまでも残っていって欲しいと思う。

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