2011年4月5日火曜日

小学校同年会


昭和28年に中学校を卒業した同窓生のうち、ごく限られた複数の小学校当時の通学団地域で気のあった連中が毎年親睦会を開いていたことを仄聞していた。だが、声を掛けられたことはなかった。
遠方の者にわざわざ声をかける程のことではないと思われていたのだろう。
ところが、今年になって声が掛かった。
言い出しっぺの中心人物を含め、亡くなる者が年々出てきて、メンバー少なくなって来たためらしい。


今日、その会に出席した。
名簿には27名の名前が見える。出席したのは15名だから出席率は良い。
顔を見て誰が誰やら分からない人が多いのには困った。
すぐ判別出来た顔は4名。
残る10名は誰が誰やら全く分からなかった。
何しろ中学校卒業以来58年ぶりだし、クラスも違ったから印象も薄い。
特に女は姓が違っているから尚更だ。
それでも、さんざん説明をされてやっと思い出した女性が二人、
名乗られて分かった男性が三人。
残る男三人、女二人の5人は全く初見に等しかった。

名簿に名前が載っていない人もいるが、多分、亡くなったのだろう。
今日も二人の名前が挙がっていた。
連れ合いが亡くなった人の名前も聞いた。
これからもこの会は毎年開かれるようだが、いつまで続けられるだろうか?
出来るだけ出席しよう。

帰りは、当時の記憶をたどりながら、58年ぶりに小学生のころの通学地区の細い道をジグザグに抜けて、となり駅まで歩いた。未だ未だ、濃厚に当時の雰囲気を残しているところも多かった。古いものを残したまま町は外へ外へと膨張したのだ。
意外だったのは、子供の頃は随分遠い気がした隣の駅までの距離が、意外に近かったこと。
歩数は予想の7割くらいしかなかったのである。
子どもの足と大人の足の違いを自分ひとりで測ってみせた格好になったようだ。

ふるさとの大仏の顔は桜の花咲く頃が一番美しい。

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