2011年4月2日土曜日

27年ぶりの納骨


今日、親父の27回忌の法事が実家であった。
集まったのは兄姉4人の他、実家の後嗣である次兄の嫁の兄弟姉妹、子供や孫達やその他などで総勢約25人と、賑やかだった。
見るからに温厚で人の良さそうなお坊さんが、延々とお経を上げ、さらにお説教を長々と垂れたのには閉口した。
それにしてもお坊さんをはじめとして唱和している連中は、息継ぎでお経がとぎれても、息継ぎをしている間に先に進んだお経の箇所に、さっと繋ぐことが出来る。
お経を上げられるというのはこういうことかと、変なところに感心した。

実家の宗旨は創価学会。ボクが社会人になってから、真宗からの宗旨替えしたものだから、菩提寺も替わってしまった。ボクはもともと宗教に無頓着だったのだが、さらに無信仰になった。信仰を押し付ける創価学会は嫌いだ。

次兄が仏壇から親父の遺骨を取り出した。
何故、26年間も納骨されずに残っていたのか?
おふくろの骨も親父の骨も、お墓に納骨したのは見ていたではないか?
何年か前に共同墓地の大改修をしたからその時に無くなったのかも知れないと、
次兄は言った。多分それしかないだろう。
だが、ともかくも親父の遺骨の一部が未だ残っていたのだ。

親父の遺骨は、坊さんの読経のもとに次兄がお墓に収めた。
ところで、納骨は骨壷のまま収めるものだと思っていたが、
壺から出して墓石の下に散骨するのが流儀だと言われて、そうなった。
宗派によって違うのか、それとも最近の流儀なのか?分からない。

没後27年目にして、親父はやっと収まるところに収まったようだ。

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