2013年6月1日土曜日

御囲堤の説明板


今まで目にしていて気に留めなかったものが、ふとしたことが切っ掛けになって、
そうだったのか!と改めて認識することは誰しもあるだろう。
そういう場合、自分自身が現場で現物をみながら現実の事象を観察すればより確かな認識になる。品質管理でよく言われる3現主義と言われるのがこれ。

写真の説明板、以前からあそこに何か掲示板が建っているなぁ~、というくらいにしか認識していなかったのだが、昨日、たまたまその前を通りかかったら、「御囲堤」の文字が目に飛び込んできた。
なぁ~んだ!こんなトコロに、こんないい掲示板が有ったんじゃん!という次第である。

片道2㎞の遊歩道のところどころに丸石を積み上げて造られた護岸堤が見られるが、
これらは猿尾(サルオ)堤(川の流れを和らげるために造られた猿の尾の様な形の堤)であろうから、御囲堤のあった位置は説明板が建っている辺になるだろうか?
高さ9.1~14.56㍍、馬踏10.9~18.2㍍、犬走り5.4㍍内外と書いてある。
現場にいてその大きさを想像してみると、随分大きなものだったことがよく分かる。
それをたったの2年間で47㎞に亘って構築したというから、家康という権力者の凄まじさにも驚く。

この辺り、橋のなかった当時、山名(やな)の渡しがあった所。
御囲堤と同時に造られた当時の般若用水への取り入れ口も、この辺りであったはずであるが、
今は痕跡もない。

3 件のコメント :

忠ちゃん さんのコメント...

情報がどんどん広がりますな~。ところで質問があります。「旧今渡の渡し跡」の記載がありますが、そこは木曽川のずいぶん上流、可児市です。貴兄はその場所まで足を延ばしたのですか。戦時中盤若町に疎開していたとき、叔父に連れられて、草井から渡船で渡り、川向こうの不動山?に登った。なにか山でお祭り行事があった。山の上から各務原飛行場の飛行機が多く見えたことが強い思い出になっている。
ウオーキングしたとき「スイトピア江南」の展望台から飛行場がわずかに見えた。その後、渡った場所が「草井の渡し」であったことを知り、「渡し」に興味をもった。

b.nasbee さんのコメント...

>忠ちゃん ご質問はご尤もですね。ボクも自信が無くなって来ましたので、近日中に確認して写真を撮ってきます。
木曽川の渡しはアチラコチラあったようですね。旧般若用水杁のあったとこでは小渕の渡しというのがあったようですし(こんなHPを見つけましたので御覧ください→http://www.j-igusa.com/i.html)、貴兄の記憶にある飛行場の見えた丘は前渡不動尊ですが、ここにも名前の通り前渡りという渡しがあったようです。

b.nasbee さんのコメント...

>忠ちゃん 貴兄のご指摘通りボクの勘違いでした。今渡は誤り、山名(やな)が正解でした。お詫びして訂正します。現地にある説明文によれば、山名の渡から前渡(まえど)へ渡ったようですね。